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<<目次>>
●料理
●レシピ
●アロハシャツ
●アロハシャツ2
●自称「料理芸人」
●食育
●台所から、環境問題を考える。
●料理
誤解を恐れずに言いますと、「料理は愛情」とは思いません。愛情が必要無いとは思いませんが、愛情だけでは料理は作れません。
極端な言い方をすれば、料理は、材料を化学変化させる行為です。例えば、「お湯に鰹節を入れるとダシがとれる」のは、浸透圧によって、味は、濃い方から、薄い方に移るからです。料理をする上で、化学変化の理論と現象を理解すれば、料理のコツがつかめ、もっと美味しい料理が作れるはずです。
なんだか、料理が味気ない物に成ってしまいそうですが、愛情が要らないとか、無駄だとか言っているのでありません。料理を、もっと現実的に考えて欲しいんです。いくら愛していても、技術が無ければ料理は作れないんです。
当然、化学では解決しない部分があります。それは、「美味しさ」です。
味覚は人それぞれ違います。日本人と外国人は元より、日本人でも、好みはそれぞれです。と言う事は、総ての人が同じ様に美味しいと感じる料理を作るのは、プロの料理人でも無理だと思います。
何が言いたいのか?料理は「愛情」では無くて「食べ物」です。
愛とか心とか、精神的な表現で料理を語るのは好きではありません。愛情には味は無いし、愛情では化学変化は起こりません。もしも「自分の作る料理が納得のいく味に成らないのは、愛情が足りないからだ。」と思っている方がいるならば、それは絶対に違います。
なんだか屁理屈を並べてしまいましたが、料理は、もっと簡単に、手軽に、チョイチョイと作れば良いんです。 美味しさには個人差がありますが、美味しさは点では無く、かなりの広さを持った面です。せぇ~ので料理を作って、出来上がった料理の味が、その面の中に入っていれば、美味しいんです。
美味しさの許容範囲は、かなり広いものだと思いますが、愛情という言葉が登場するとしたら、その料理を食べる人の、味の許容範囲を考えること。「この人は、こういう味が好きなはず。」と言う思いやりでしょうか? 難しく考える必要はありません。チョイチョイと作れば良いんです。でも、愛情では料理は作れません。 気合いだけでは、オリンピックで金メダルはとれないんです。美味しい料理を作るのに必要なのは、愛情ではなくて技術です。 その技術を解りやすく伝えられたら・・・と思っております。
●レシピ
料理の仕事をさせていただいていますから、当然、レシピを書きます。
レシピを書くと、いつも思うんですが、厳密に言って、同じ材料は二つ無いんです。例えば、玉葱100gと言っても、春と冬では味が違うし、畑が違えば、味は違います。同じ畑の隣りどうしで育ったとしても、やはり厳密には違うものです。完璧なレシピは、あり得ないと言う事でもあります・・・
つまり、レシピはあくまでも目安で、美味しさの最終判断は、自分でするしか無いんですねぇ~
●アロハシャツ
私生活でも、仕事でも、1年365日、ほぼ毎日アロハシャツです。
当然、常識的に判断して、アロハシャツでは失礼に成る場合は、スーツにネクタイ等にしますし、料理を作ったり、料理人としての仕事で、演出として必要な場合はコックコート(白衣)を着ますが、それ以外は、近所に買い物に行く時だってアロハシャツにGパン。
実は、アロハ歴はそれほど長くなくて10年ほど。完全アロハ化(?)したのは2005年の秋から。何でアロハシャツなのか?ずっと黒い服ばかり着ていた時期があって、その反動もあるんですが、何より南の島が好きで、海が好きで、夏が好きだから。アロハシャツの、あのゆったりした感じも、好きなんですねぇ。そして、アロハシャツならいいオッサンが派手な色の服を着てても、何となく許されると、自分勝手に決めつけているんですねぇ~。
たかがシャツなんですが、実感として、嗜好や考え方も変わりました。前向きに、外向きに、開いた感じに・・・。
冬はどうしてるのか?と、心配してくださる方もいらっしゃるでしょうが、ご安心下さい。アロハシャツには、ロングスリーブ(長袖)もあるんです。長袖アロハは、柄と色合いをちゃんと選んで、ハワイの方か着れば、れっきとした正装です。寒い時期は、長袖アロハの上に、革ジャンやらダウンやらを着込んでます。実は、そのジャンバーやらダウンやらにも、本人としてはこだわりがあったりもしていますが・・・。
持ってるアロハシャツは、現在300着くらい。長袖50着、半袖250着ってところでしょうか・・・。自分にとってのアロハシャツは着るものなので、ヴィンテージは持ってません(まぁ正直言って、高くて買えないんですけど)。アロハシャツの歴史は、何冊かの本を読んだ程度ですが、これがなかなか面白い。日本とも関わりがあったりもします。主に着るのはハワイ柄で、和柄はあまり着ません。 理由は簡単、この人相で和柄のアロハを着ると、かなり危ない感じに成って、回りに迷惑をかけるから!です。
夢は、ライトニング( Lightning )で、アロハシャツの取材をしてもらうことですかねぇ~ファッションや服装を語る立場には無いですが、アロハシャツについて、自分はこう思う・・・って言う話しなら出来そうな気がします。
●アロハシャツ2
何処で買うのか?料理人なんだから、もっと料理の事を書けば良さそうなもんですが、止まらなくなったので、勢いに任せて書きますと・・・
アロハを買うのは主にマウナケア ギャラリーズって言うお店で、横浜にあります。まぁ9割以上は、このお店で買っています。一年中、アロハが売るほどおいてあるので(お店だってぇ~の!)、興味のある方はどうぞ。
ただし、かなりの数のアロハがあるので、選ぶのに一苦労かもしれません。お店の方は、皆さん感じの良い方なので(かなりゴマすってるなぁ)、気軽に声かけてみると良いと思います。アロハには、柄やデザインに意味があったりするので、ちょっとした雑学の勉強にも成ったりしますヨ。熊八がこだわっているのは、主にアロハシャツですが、ジュエリーとか小物とかジャケットとかTシャツとかトレーナーとか、各種取り揃えております。
お手入れ方法?アロハシャツの素材は、レーヨンだったりコットンだったりしますが、個人的には、レーヨンの方が好きですかねぇ~。ところが、残念な事に、レーヨンは、洗濯機での洗濯はできません。出来ない事は無いですが、もの凄く縮みます。ど~しても、ご自分で洗濯したい方は、縮み分をみこして、大きいサイズを買うか、縮んでも無理矢理着るかですが、熊八は、毎回クリーニングに出します。まぁ、長く、大事に着るためには仕方ないですねぇ。その辺の扱い方もお店の方に聞いて頂ければ、色々教えてもらえます。(ちょっと話しが長く成る傾向にあるスタッフもいるので、そのスタッフにあたってしまったら、残念、 諦めて最後まで話しを聞いて下さい。)
アロハシャツは、やっぱり夏の服ですから、夏に着るのが一番です。一年中着てるのは、極少数の変わり者だけです。でも、夏に着るアロハシャツは、ホントに気持ち良いですヨ。夏の暑い日に着るお気に入りのアロハシャツが1枚あっても良いと思うんですけどねぇ~。
●自称「料理芸人」
いったい、何処を目指しているのか? 日本料理の達人に成りたいとか、世界に通用するフランス料理のシェフに成りたいとか、大繁盛のレストランのオーナーシェフに成りたいとか、そういう事では無いんです。目指しているのは、「料理」を伝えるプロです。作り方、食べ方、コツ、美味しいお店、珍しい食材、食文化等々、料理に関わることなら何でも良いんです。それを伝えるプロに成りたいんです。
料理の世界に軸足を置く限り、料理以外の仕事もドンドンさせて頂きます。バラエティーやクイズ番組、旅番組、ドラマ、ものまね番組、ラジオ、イベント、トークショー何でも有りです。理想は、料理漫談(?)・・・料理を作らず、料理の話しで、お客様に満足してもらえたら・・・と思っています。
名刺の肩書きは「料理人」です。これは、名刺交換の時に、肩書きが料理芸人では、相手に失礼かなぁ~・・・と言う、気の小ささと、「料理人」と言う広い枠の中に、世界各国の専門料理店の料理長や、料理研究家等々と料理芸人が含まれると思っているからです。広い枠と言っても料理人である以上、料理を作れます。語るだけではありません。
料理芸人と言う自信の裏付けは? 料理の世界で、熊八より料理が上手い料理人は、数え切れない程いらっしゃいます。でも、お客様の前で、しゃべりながら、相手の話しを聞きながら、時には歌を唄いながら料理が作れる料理人は、あんまりいないんです。芸能界には、プロ顔負けの腕前を持つ料理上手がいらっしゃいます。この方達は、当然、しゃべりながら、相手の話しを聞きながら料理を作れます。熊八よりトークの上手い方、容姿の良い方はたくさんいらっしゃいます。
この方達との決定的な違いは、熊八は「見習いから、一人前になるまで、飲食店でプロとして働いた事がある。」と言う事だけです。たったそれだけですがその経験が無い方とは、洗った鍋の数、皮をむいた野菜の数、おろした魚の数、焼いた肉の数、怒られた数が違います。それが自信です。
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●食育
食育の定義と言っても、かなり幅があるようですが、子供の食育に限って言うならば、栄養素の名前や必要摂取量などではなくて、もっと大まかなバランス感覚を身に付けることだ大切だと思います。
「この頃、肉ばかり食べているなぁ」とか「身体に良いから、食べよう」と言った感覚を持つように成ることです。
それには、どうすれば良いか? 先ず、大人がちゃんとした知識を持つことです。 しかしながら、困ったことに、世の中には、食に関する情報が反乱しています。 どれが正しくて、どれが間違っているかを判断するのはホントに難しいんですが、個人的見解として、アスリートや、ご病気の方の食事ではないのなら、毎日の食事を完璧にすると言う考えには無理があります。 一週間くらいの幅の中で考え、それを1ヶ月続け、1年続け、と言う感じでないと、続かないと思います。
何か1品だけを必ず食べると言うのも、あまり信用できません。 そして、美味しいものを作り、食べることも大切です。 外食や出前、お総菜を買ってくるのも良いですが、料理を作り、食べることに勝る食育は無いと思います。
料理を作りながら、材料の説明をしたり、コツを教えたり、出来上がった料理を食べながら、どんな味がするのか、好きな味か、嫌いな味か、どんなところが好きなのか、そんな会話が子供の食育だと思います。 さらに言うなら、子供の好き嫌いは、一緒に料理をすることで、ある程度は解消されると思います。
とまぁ、ここまでは子供の食育の話し。
ここからは、大人の食育の話しです。
朝食を食べない子供が多いのは問題だとか、子供には安全な食品を食べさせたいとか、間違っているとは思いませんが、その前に、日本人がもの凄い量の食品、食材を捨てている事を知っていますか?
日本の食料廃棄量は、食品産業だけで、年間約1100万トン。 1100万トンは、日本人の、年間のお米の消費量とほぼ同じです。 これに、家庭での廃棄量をほぼ同量として足せば、年間約2200万トンの食料を捨てている事に成ります。 悲しい事に、日本人は、輸入食料の1/3を食べずに捨てているんです。
輸入食材、輸入食品の産地の国では、朝食とか安全とか言ってる場合じゃない、今日、食べるものに困っている人達がいます。 世界では、1時間に、約1000人の人間が、食べ物が無くて死んでいるんです。 日本国内だって、命をかけて船に乗って、魚をとってくる漁師さん、雪の日も、炎天下でも畑で仕事をする農家の方、牛、豚、鶏を育てている方たち、その汗と努力を捨てるんですか? 金を払ってるんだから、良いんですか?
挙げ句の果てに、ダイエットの為に、外食したら、何をどれだけ残せば良いかを解りやすく書いた本まであります。 呆れて言葉もありません。 食べないなら、注文しなければ良いんです。
日本は資源の少ない国ですが、食料自給率をもっと上げることは出来るはずです。 賞味期限やら消費期限やらも、どうも納得いかないです。 行政は、立派な建物作るより、食べ物を作ることに力を入れて欲しいものです。 そして、消費者も、もっと考えましょう。 安くて、美味しくて、安全、を作り出すことは、簡単な事では無いんです。 お店の棚の一番奥から、賞味期限の長い牛乳を引っ張り出すのが、安全な食品選びですか?
話しの方向はズレますが、昨今、食品の偽装問題がいくつも発覚しています。 ルール(法律)があるんですから、やった事は許される事ではありません。 消費者をダマして、利益を上げる事は、勿論、悪い事です。 でも、チョット待って下さい。 もし、賞味期限をごまかした理由に「もったいない」と言う気持ちがあったなら、その部分だけは、理解できませんか? 「もったいない」と言う言葉無しに、食育は語れないと思います。 原材料を偽装した食品を回収して、その後、廃棄処分した・・・ でも、食べられるんですよね? 菌で汚染されているとか、腐敗しているとか、体に悪い物質が入っていると言うならば仕方ないとしても、食べられる食品の廃棄処分と聞いて、安心するのはおかしくないですか? 「もったいない」と思いませんか?
たった今まで、普通に売られていたお弁当が、決められた時間を1秒過ぎた瞬間にゴミに成る・・・ まだ、食べられるんですよね?
何で、こんな国に成ってしまったんでしょう? 一番悪いのは、消費者だと思いますヨ。 企業は、消費者が求めるものを作るんです。 安くて、美味しくて、安全な食品。 言うのは簡単ですが、そんな事ばかり言ってると、結局、シワ寄せは、生産者が背負うんです。 企業は、企業努力である程度までは持ちこたえる力があるかも知れませんが、ギリギリで働いている生産者の方達に、これ以上無理を言ったら、生産者の方達は、やって行けなく成りますヨ。 もしそうなったら、一番困るのは消費者なんじゃないですか? 消費者が、安く、安くと言うから、安く成って、安くなったから、平気で捨てるんです。
安いのは有り難い事ですが、安さばかりを求めるのでは無く、本当にこれで良いのかを考える時が来ているんじゃないでしょうか?
消費者の声は、大きいんです。 みんなで声を挙げれば、世の中は動きます。
食品、食材の大量廃棄を無くし、食料自給率を上げないかぎり、今の日本人に食育を語る資格は無いと思います。 子供に食育を語る前に、まず大人の問題です。
株式会社 文溪堂 月刊誌『道徳と特別活動』8月号
エッセイ ストリームより
「食育って?」
昨今、あちこちで「食育」と言う言葉を耳にするようになりました。多くの人が、食に関心をもち、正しい知識をもつ事は、大切な事だと思います。そして、子どもたちに対する食育は、特に大切な事ですから、大人はしっかり取り組むべきだと思います。
では、いったい何を教えれば良いのか?
「食育」と言っても、範囲が広すぎて、よく分からない……そんな声を耳にします。
個人的な見解ですが、範囲が広いならば、食育に決まりは無いって事だと考えています。それぞれができる事、分かる事を教えればよいんです。
そんな勝手な解釈に基づいての話で申し訳無いですが、食育について思う事を、少し書かせていただきます。
子どもの食育には、栄養素の名前やそのはたらきなんて事は重要とは思えません。しかし、困った事に、そういう事は教えやすいんです。試験問題も作りやすいし、解答もしやすい……。
本当に子どもに伝えなければならない、一番重要な事は、「もったいない」と言う事だと思います。
ただ「もったいない」ではダメです。どうしてもったいないのかを、自覚していない者が語っても、そんな言葉は説得力をもちません。
食べ物を作り、育て、捕りに行っている、生産者の苦労をご存じですか?
それを運び、売っている方の苦労をご存じですか?
台所で作っているのは、料理の最終段階に過ぎません。食べ物には、その前があるんです。
たくさんの人たちの想いを食べているんです。
もちろん、親が一生懸命働いて稼いだお金で買っているんです。だから、食べ物を(食べ物以外も)、大切にしなければならないんです……と、こんな事は、今さら言われなくても、充分承知! と言いたいところですが、残念ながら、今の日本人は、そんな当たり前の事が、分からなくなっているようです。
食料自給率が四十パーセントに満たない国が、毎年約二千二百万トンの食べ物を捨てていると言われています。
二千二百万トンがどういう数字かと言いますと、1年間に、全世界の食料支援に使われる食べ物の量が約一千万トンだそうですから、日本だけで、その約二倍の量の食べ物を捨てている事になります。もちろん、食料廃棄量の問題は日本だけの問題ではありません。
でも、他の国もやっているから……と言うのでは、子どもと同じじゃないですか? 子どもに「もったいない」を教えられる大人にならなくてはいけません。
その前提で、子どもと食べ物の話をしてください。基本的に、食育は親(保護者)がする事で、学校や、周りの大人はそのサポートをすればよいと思います。
食べ物の話をするならば、買い物や、食事の支度をするとき、もちろん、食事中もよいですねぇ。この野菜はどんな色の花が咲くとか、この魚は他にもこんな食べ方があるとか、この肉はホントは高いけど今日は特売だったとか……食育って言うのは、そういう事だと思うんです。
一緒に料理をするのもよいでしょう。一緒に片付けるのもよいでしょう。
子どもと食べ物の話をしてください。そんな話を、子どもは大人になっても覚えていたりするんです。
そんな経験がありませんか? わたしにはたくさんあります。
ちょっと脱線しますが、食育に関連づけて、「毎日、朝ご飯を食べよう!」と言うような標語を目にします。
しかし、残念な事に、なんで朝ご飯を食べるのか? と言う理由が、要約すれば「朝ご飯を食べると、落ち着いて、勉強ができ、おりこうさんになるから」としかとれない説明が書いてあったりします。
これだけはハッキリ言えますが、「朝ご飯は、勉強のために食べるものではなくて、お腹がすいたから食べるんです。」食事は、美味しく、楽しくしたいものです。
嫌々食べるなら、作らなくてよいです。
もちろん、ご病気などの理由があるならば話は別ですが、嫌々食べる朝ご飯なんて、それこそ「もったいない」です。
世界には、一日一食の食事も満足に食べられない子どもたちがたくさんいて、自分が嫌々食べているその食べ物を、ホントに必要としている人たちがいる!と言う事を、絶対に分からせて下さい。
ちなみに、なんで朝、お腹がすかないのか? と言えば、晩ご飯の後に間食をとったり、寝る時間が遅くて、学校に行くギリギリに起きたりしているのではないですか? 起きて数分後に、朝ご飯を食べろ! と言われても、食欲がある訳がありません。
生意気言いまして、失礼しました。
●台所から、環境問題を考える。
地球温暖化、森林伐採、水質汚染、ゴミ問題・・・ニュースや新聞で取り上げられない日はありません。
「今、地球が大変な事に成っている」
それは、誰もが気付いているはずですが、「自分には、何も出来ない」とか「誰かが、何とかしてくれる」とか「まったく!国は何をやってるんだ!」なんて思っていませんか? 恥ずかしながら、これは自分の話しです。 いや、あえて「でした。」と言わせて頂きます。
もう、そんな事を言ってる場合じゃ無いんです。 このままじゃダメなんです。
では、何をどうすれば良いのか?
その答えは、1つではありません。 抱えている問題が多すぎる事もありますが、方法はたくさんあると言うことです。
自分は、どうすべきか? 何が出来るか? ちゃんと考えて、行動に移して下さい。
地球環境問題
地球温暖化と言う言葉を、毎日耳にします。温暖化と言う事だけならば、地球は、何億年と言う長いサイクルの中で、暖まったり、冷えたりを繰り返してきている星なんでしょうけれど、問題は、そのスピードが、早すぎる事です。
何故、早すぎるのか? それは、人間が作り出す、温室効果ガスが多すぎるから・・・ 温室効果ガスが何なのか、何故、ガスによって温室効果が起こるのか等、詳しい話しは、どうぞ皆さんが調べてみてください。検索すれば、すぐに出てくるはずです。
「空、森、水、海」
空は、空気の事です。 空(空気)は、世界とつながっています。
森は、空気を浄化して、酸素を生み出しますが、その森が、どんどん無くなっています。 地球の森は、この1万年で半分に成ったと言われています。 そして、このままのペースで森が無くなって行くと、あと500年で、地球から森が無くなってしまうそうです。 無くなって、と言う表現は、正確ではありません。その多くは、人間が森林を伐採して、森を無くしているんです。
森は、水を作ります。森と言うよりは、山と言った方が良いかもしれませんが、山と森林が、良い水を作り、その良い水が農業を支え、人間と動物を生かし、海に流れ込む。良い水が流れ込まないと、良い海には成りません。 だから、空、森、水、海、なんです。
残念ながら、人間は、空と森と水と海を作ることはできません。 地球が自ら回復することの手伝いしか出来ないんです。 回復には、時間がかかります。5年、10年、20年、もっと先を見据えて、行動しなくては成りません。 でも、本気で取り組めば、必ず良く成るんです。日本人は、スモッグで汚れた空気を、無くなってしまった緑を、工業廃水で汚れた川を、海を、時間はかかったけれど、きれいにしてきたじゃないですか!
それに比べて、地球を壊すことは、簡単です。 何十年、何百年生きてきた木も、切り倒すのはアッと言う間です。極端な言い方をすれば、人間は、生きているだけで、環境を破壊しているんです。 先進国と呼ばれる国で暮らす人ほど、その度合いは大きく成ります。
では、木を切らなければ良いのか? 車を捨て、電気、ガス、水道など、総てをやめてしまえば、温暖化問題は解消すると思います。でも、そんな事出来るわけがありません。
人間は、文明を持ち、科学技術を持ちました。 それを駆使して、環境問題に挑む・・・ では、それを見ているだけで良いんでしょうか?
「こんな地球に誰がした?」
人間がしたんです。 特に、先進国と呼ばれる国に暮らす人間ほど、その責任は大きいはずです。
なぜなら、先進国の人間が、快適な暮らしをするために、木を必要とするから、あるいは、木が邪魔だから木が切られるんです。車に乗り、スイッチを入れれば電気がつき、蛇口をひねれば、お湯がでて、きれいな水もでる。
そんな暮らしをしているのは、世界の中で、ホントに限られた、ごく一部の人間だけで、その中に、日本人も入っていると言う事を、知って下さい。だから、責任があるんです。
何より、無関心が一番良くないです。地球環境を知り、世界の現状を知り、自分は、どうすべきかを考え、そして、声を上げましょう。 行動に移しましょう。ひとり一人が動けば、国が動き、世界が動き、地球が変わります。
食料問題
日本の食料自給率は、40%以下に成ってしまいました。 国の政策によると、2010年には、カロリーベースで45%を目指し、将来的に、50%を目指すそうです。
何を言ってんだか・・・ 目標ならば、100%にして欲しいものです。
何故40%以下ではダメなのかと言うと、大きな理由が2つあります。
1.「安定した食料確保」
仮に、輸入先の国で、何か問題が起こった時、食料の確保が困難に成るかもしれない。 当たり前の話しです。
2.「世界の飢餓問題」
「今、世界には、食べ物が無くて、飢餓が原因で亡くなられる方が、1分間に17人いて、そのうち12人は、子供だ」と言う統計があります。
では、食料は、そんなに足りないのかと言うと、充分では無いとしても、飢餓が起こるほど、不足している訳ではありません。
世界の食糧の80%は、先進国と呼ばれる国が独占し、残りの20%を、途上国と呼ばれる国の方達で分け合っているんです。しかも、日本は、輸入食料の1/3を捨てている。
日本の年間食料廃棄量は、2200万トンと言われています。 そして、2200万トンの半分は、家庭で捨てられている食料です。 2200万トンという量は、年間に世界で行われる食料支援量の、約2倍です。
日本人は、世界で行われている食料支援、2年分の食べ物を、毎年捨てているんです。 先ず、この無駄を無くさなければ成りません。
賞味期限、消費期限を1秒でも過ぎれば、ゴミに成る食品。 内容表示の順番が違っていたから、回収され、ゴミに成る食品。 間違っているとは思いませんか?
もし日本人が、食料の廃棄を0%にすることが出来れば、毎年2200万トンの食料を、世界に返す事が出来ます。 そして、日本の食料自給率が上がれば、外国からの輸入が減り、もっと多くの食料を世界に返す事が出来ます。
「農業、漁業、畜産酪農業、林業」
日本は、幸いな事に、お米だけは、まだ何とか95%以上の自給率にあります。 それでもギリギリです。
「米が余っているから」と言って、田圃を減らしたせいで、いざ米が不作に成った時に、慌てて海外から米を大量に輸入する事に成ったのは、記憶に新しい話しです。
大量の米を買い取ったせいで、その国の方達が食べる米が足りなく成ってしまいました。 にもかかわらず、日本人は、輸入米が美味しくないと不満を言い、大量の輸入米が余りました。 これは、傲慢、驕りです。
そして、輸入米の、あまりの人気の無さに困った政府は、日本の米に、輸入米を混ぜた「ブレンド米」なんて言う、とんでも無い物を作りました。 これは、太さの違うパスタを一緒に茹でている・・・いや、パスタと、うどんと、素麺を一緒に茹でている様なもので、美味しく炊けるわけがありません。 これこそ、国の政策の無さです。
日本は、もっと農業、漁業、畜産酪農業、林業等の、生産業を大切にしなければダメなんです。
米や野菜は、農業をなさっている方達が作っているんです。 農業をなさっている方に何人も会い、お話しを聞きました。 大変なご苦労をなさっています。
漁業の厳しさも同様です。 海に出て魚を捕ると言う事は、命がけの作業をされているって事です。
家畜を育てると言う事は、1年365日、休みは無いんです。 毎日、早朝から、ずっと仕事です。
人間が、森と共存して行くには、原生林ではダメなんです。 ある程度、人間が手入れをして、豊かな森を作らなければなりません。 豊かな森が、空気と、水と、海を作り出します。
そんな、日本の食料を支えていらっしゃる方達のお話しを聞く機会があります。皆さんおっしゃるのは、後継者の問題です。「こんな不安定で、厳しい仕事を継げとは言えない・・・」 悲しいですねぇ。 申し訳ない気持ちに成ります。
何で、生産業の方達が、厳しい状況に追いやられているのか?責任は、消費者にもあります。安全で、美味しくて、安い食べ物なんて、あり得ないんです。
それを求めると、結局、生産業にしわ寄せが行くんです。 生産業の皆さんが、汗水たらして育て、捕ってきた物を、ポイポイ捨てておいて「もっと安くしろ!」は、勝手な言い分です。
食べ物ですから、安全で、美味しいと言うのは、絶対条件ですが、安いと言う事は、考え直す必要があると思います。 当然、国の政策として、訳の解らない橋やら、施設やら、自分たちの遊び道具やら、退職金やら、随意契約やらに使ってきた予算を、生産業に使うべきです。
人間は、食べ物無しでは、生きて行けないんですから、手厚い保護政策をとるべきだと思います。 でも、消費者も、黙って見ている場合ではありません。仮に、食費が2割り上がったとしても、その分、捨て無ければ良いんです。 上手に買って、調理して、保存して、今までより、捨てる量を減らし、大切に食べれば良いんです。 そうすれば、ゴミも減ります。
「もっとお米を食べる。」
1960年頃には、日本の食料自給率は80%ほどありました。 それが、40年ほどで半分に成ってしまったわけです。 その原因は、日本人の食生活の変化にあります。 40年前の日本人は、1日平均5~6杯のご飯を食べていました。 それが、今や1日平均3杯です。
つまり、ご飯以外のおかずや、パスタ等の小麦食品が増えたと言う事です。 だからと言って、パスタや、小麦食品、いろんなおかずに罪はありません。 日本は、世界中の料理が、普通に家庭の食卓に並ぶ、世界でも珍しい国に成りました。 その結果、ご飯を食べなくても、食事が成り立つ様に成ったんですねぇ。
そして、これは、国の政策もあっての事なんです。 「もっとおかずを食べよう」とか「もっと肉を食べよう」とか、食生活の欧米化が進んだ要因は、国が進めた政策でもあると言う事です。
その結果、子供の肥満が増え、大人の肥満も増え、今まで殆ど無かった病気が広がった・・・と考えています。
何度も言いますが、小麦食品、いろんなおかずのせいでは無く、食べ方の問題です。 栄養のバランスや摂取量を考えて食べれば良いんですが、なかなかそれは難しいものです。
ならば、もっと日本料理を食べましょう。日本人は、何千年も日本料理を食べて来たんです。日本料理が、いちばん体に合っているはずです。日本料理以外はダメと言うのではありません。 日本料理中心、ご飯中心の食生活に戻しそうと言う事です。
日本で作り、捕った、季節の物を食べましょう。 幸いな事に、日本の農業技術は、世界トップクラスです。 田圃を増やし、農業をなさっている方達が、もっとゆとりをもって暮らして行ける様にしましょう。 安心して、後継者に技術を伝えられる様にしましょう。 それが、食料自給率の向上、環境問題の改善にもつながって行く道だと思います。
「鯨を食べる。」
そもそも、日本人は、鯨を食べる為に捕っていたんです。これは、日本の食文化です。では、なぜ鯨が消えてしまったのでしょう?
原因は、欧米が、大型鯨類の脂を、燃料にするために乱獲したからです。しかも、脂をとった後の鯨は、捨てていたんです。結果として、鯨の頭数が激減してしまいました。「激減してしまったから、捕鯨を止めろ!」と言うのは、百歩譲って、理解しましょう。でも、その甲斐あって、鯨の頭数は、かなり回復しているそうです。確かに、鯨の泳ぐ姿は、優雅で、雄々しく、かなり高い知能を持っている事を感じさせます。ならば、牛は?豚は?鹿は?羊は?鶏は?なんで食べても良いのか?それが、欧米の食文化だからです。
人が生きて行くには、他の動物の命を犠牲にしなくては成りません。その点において、どの動物も同じです。命を犠牲にしているからには、無駄なく、大切に、総てを利用する。日本は、それをしていたんです。
鯨は、海の食物連鎖の頂点にいる動物です。鯨は、大量の魚や、オキアミ食べます。人間も食べる魚と、その餌と成るオキアミの両方が、大量に無くなって行くんです。
このままでは、人間の食べ物が減るばかりです。日本人は、鯨を食べてきたので、鯨を食べる事に、さほど抵抗も無く、鯨の美味しい食べ方を知っています。鯨を食べない食文化の国の方が、仕方なく食べるのとは、意味合いが違います。日本が鯨を食べる様に成れば、その分、世界の食糧が増えると言う事でもあるんです。栄養学的にみても、鯨は素晴らしい食材です。この考えが、間違っているとは思えません。
ならば、何故、国際会議の捕鯨反対国の人達は、理解出来ないのでしょう?捕鯨反対国の中心にある国は、日本に、肉類を輸出している国と重なります。どうも、その辺の政治的、経済的事情が関係しているとしか思えないんです・・・ 鯨は、美味しい日本の伝統食文化です。胸を張って、鯨を食べましょう。
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※掲載内容はあくまで森野熊八の見解であり、所属団体・企業における立場、戦略、意見を代表するものではありません。
掲載内容は執筆時点の情報をもとにしており、必ずしも最新情報であるとは限りません。
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